STORY あづまの歴史

Scroll

episode 1

あづまの創世記には、
「愛」の物語があった

明治24年、奈良県の有名な桐の産地で、材木業の一大財閥を築いていたのが初代の創業者。その番頭として、実務を回していたのが後の二代目となる青年です。彼は、初代の御令嬢に心ひかれ、若い二人は身分の差を超えて駆け落ち。辿り着いたのが和歌山県でした。初代は二人の情熱にほだされ、親心もあったのでしょう。「自分の度量で事業をやってみせろ」と二人に和歌山の山を与えました。

episode 2

木の神様が棲む「紀伊国」で
花ひらいた黄金時代

二代目は、現在のあづまの礎となる和歌山県紀の川市で、材木業をスタート。紀の川は当時、山から切り出された多くの材木が川で運搬され、そのほとりには沢山の下駄屋や家具屋が立ち並んでいました。三代目になると、国産と海外産の桐を掛け合わせて品種改良をしたり、中国やアメリカと貿易をしたり、会社も大きく栄えていき、同時に三代目の気風のいい人柄から、多くの職人に慕われました。

episode 3

わが妻への想いもあった
新生「家具のあづま」

材木業としての歴史は、四代目で大きな転換期を迎えます。それは、自分たちの手で家具を作ること。四代目の妻は着物が好きで、その着物を大切に保管できる桐箪笥を作り、“我が妻”にも使って欲しいと、屋号は名前の東(あずま)ではなく、「あづま」となりました。夫婦二人三脚で始まった「家具のあづま」。腕を見込んだ職人にはお金も惜しまず、理想の桐箪笥づくりを追求していきます。

episode 4

幼い少年が抱いた夢は
世界一の「桐箪笥職人」

小さい頃から、桐の丸太に乗って遊んでいた、という四代目の息子が、小学校の卒業アルバムに記したのは、「世界一の桐箪笥の職人になること」。彼は大学卒業後、京都で京指物を学び、そこで三代目や四代目とゆかりのある人たちに出会うことになります。家業の歴史が育む「縁」を感じながら、未来の五代目は木工・漆芸の人間国宝「黒田辰秋」の右腕である京の名工 内藤邦夫の弟子になり、伝統工芸の技を磨いていきます。

episode 5

多くの人の「想い」を
千年先までつないでいく

和歌山に戻った五代目は、祖父である三代目の右腕だった職人から一子相伝の技術を授かります。四代目を支えた腕利きの職人からも「あづまで育んだ技術やから、あづまに返さないかん」と、多くの知見を受け継ぎました。歴史は、無数の人の想いという点と点がつながり1本の線になっていくもの。多くの先人から想いを継いだ五代目は、紀州桐箪笥の伝統工芸士となり、新たな歴史の1歩を踏み出しています。

桐たんすの歴史

江戸時代に誕生した桐たんす

箪笥が誕生する以前の日本では、着物などは長持ちに収納するのが一般的でした。しかし江戸時代になり、経済的にも豊かになっていくと、裕福な暮らしと共に着物などの持ち物も増え、箪笥が普及していったと言われています。

その中でも桐たんすは、江戸の人々に大人気。その理由は大火が多かったからとも言われています。江戸時代にはなんと47回もの大火があったようです。桐たんすは、火の手が上がった時でもすぐに持ち運べる「軽さ」があり、空気を密封しているため「火」にも強く、「水分」も含みやすいため、水をかけておけば中のものが守られると、多くの江戸人から重宝されました。

女性らしさは明治時代から

鎖国が終わり、文明開花を迎えた明治時代。これまでの武家社会は終わりを告げ、人々の暮らしのアイテムも、頑丈さや実用性を重視した「男性らしい」デザインではなく、優雅な「女性らしい」デザインが好まれる時代になりました。

特に桐たんすは、明治時代でも「家を守る」役割が大きかった女性が主に扱う家具です。女性が求める見栄えの美しさや使いやすさを形にするために、多くの桐箪笥職人たちが技にしのぎを削ったことでしょう。この時代に生まれた、柔らかで繊細な美しさのある桐たんすは、女性らしさが存分に表現されていて、後の桐たんすの道すじを作ったと言っても過言ではないでしょう。

栄華を誇った、大正時代

ヨーロッパが主戦場となった第一次世界大戦は、日本に対戦景気をもたらし、大正バブルの時代が訪れます。経済が豊かになっていくにつれて、高級品の桐たんすも次々に生産され、この頃に二段から三段重ねのたんすが登場したとも言われています。

桐たんすも最盛期を迎えて、さまざまなシリーズが生まれます。前面だけが桐の「前桐箪笥」や、前面と両横が桐の「三方桐箪笥」、前面・両横・後ろが桐の「四方桐箪笥」、すべてが桐でできた「総桐箪笥」と、ランク分けされたラインナップになり、人々の暮らしにあった桐箪笥が、多くの家庭に普及していきます。

戦後復興から激動の昭和へ

第二次大戦後の日本は、戦争の傷あとからの復興が国民全体の目標となりました。そうした中で、アメリカ文化をはじめ、さまざまな外国の文化が入ってきたこともあって、日本人のライフスタイルは激変。洋式の家具に押されるようにして、桐たんすの需要も減っていきます。

ただ、日本の伝統工芸の粋が集まった桐たんすには、洋家具にはない魅力があり、その緻密な職人技も見直されるようになって厳しい時代を乗り切ります。バブル景気の頃には高級志向の波が押し寄せ、「他人より良いもの」を求める人々のニーズから、豪華な桐たんすが売れるようになり、桐たんすの価格は最高クラスに上がっていきました。

平成からの新たな豊かさ

バブル景気が弾け、多くの人々が“夢から覚めた”時代。これまでのように「モノを持つことの豊かさ」から、多くの人々が「こころの豊かさ」を求めるようになりました。世間や、他人に左右されることのない、自分にとって本当に「大切なもの」は何か。そんなことを求める時代だからこそ、桐たんすは大きな価値をもたらしてくれるように思います。

かつて日本には、女の子が生まれると庭に3本の桐の木を植え、お嫁にいくときには成長した3本の桐から作った箪笥を持たせる風習がありました。家族と共に生き、その想いを新しい家族につないでいく。そんな桐たんすは、いつの時代も「大切なもの」に気づかせてくれる「人生の家具」なのかもしれません。